移乗の技術・考え方と方法
第1章 はじめに

移乗とは、生活の中での乗り移り動作のことです。いすに腰掛けたり、トイレの便座に座ったり、自動車に乗り込んだり・・・。生活のさまざまな場面と動作の切り替え点に、いつも存在しています。また、移動をともなう場合にも存在しています。

高齢者や障害者を例にとると、ベッド〜車いす〜トイレ〜入浴〜乗り物など、生活を維持していく上でとても重要で頻繁に必要とされることがわかります。

誰でもが、手早く、簡単に、安全に移乗できる方法はないといってもよいかもしれません。一人一人の状況に応じて移乗方法は異なるものですし、手早くやろうと思うと介助者か本人に危険や苦痛を伴います。本人が安心し


て安全に乗でき、介助者の身体を守ることができる方法をきちんと身につけて、頻度高い移乗が可能となれば、自然に生活も広がり、質の高い生活、すなわちふつうの生活に近づくことができます。

本報告書では、ひとりひとりの生活や身体状況に合った移乗方法を見つけだすための、いくつかの代表的な移乗方法について、その原理や仕組みとともに紹介します。また、実際の動作をあらゆる方向から見ることができるように、3DCG(3次元コンピュ−タグラフィックス)による映像も用意されています。本文と合わせてご覧ください。

 


  はじめに

移乗動作は日常生活をいとなむためには、不可欠な行為です。生活を広げようとすればするほど、移乗の頻度は増してきます。

移乗は頻度高く必要となる上に、危険をともなう動作です。本人にとっても、介助者にとっても、一生懸命やらなければできない移乗方法は好ましいものではありません。両者にとって、容易で無理がなく、快適で余裕のある方法を考えましょう。それによって、移乗頻度が高まり、ひいては生活の質を高めます。

1.1 [移乗の基本原則]

この移乗動作を考える基本原則は次の3点だといえるでしょう。

・本人の安心と安全を確保し、できるだけ快適であること

・介助者の身体を守り、余裕のある方法であること

・これらを実現するために、必要に応じて、道具(福祉用具)を利用すること

・本人の安心と安全を確保する

移乗介助の中で忘れられがちなのは、本人の負担、すなわち不安と不快です。介助者が身体的につらい介助は本人にとっても楽なことではありません。

本人の負担として考えられることはまず、不快感があります。これには、移乗介助時の無理な抱え込みなどによる疼痛、身体を移動させられるときの不安定さからくる恐怖心、それらにより緊張することで、筋肉が硬くなる現象も引き起こされます。この筋緊張が亢進した状態を放置すれば、関節の動きを減少させ、拘縮を引き起こし、悪い姿勢をつくります。

関節の拘縮はさらなる障害となって、生活を縮小させる悪い循環へとはまりこんでいきかねません。悪い姿勢は見た目が良くないということだけでなく、褥創を作りやすくしたり、食事や呼吸がしずらい状態まで引き起こします。

このように、不快感を通り越し、危険性を伴っていることもあります。現に、介護の現場で起こっている実例をみても、移乗介助時における転倒や、圧迫・脱臼による骨折、車いすなどの対象物へぶつけることでできる創傷など、実際に身体的に損傷を受けていることも少なくありません。(図1、2、3)

力まかせの移乗介助は介助者にとって負担なだけでなく、本人に与える危険性や不快感も大きいといえます。身体的な苦痛は、多くの場合精神的な苦痛を伴います。どちらにとっての負担も移乗に対する拒否につながり、生活を広げるはずが、逆に縮小してしまうこともあります。

図1・肋骨骨折

80才 女性 脳梗塞

抱きかかえによる肋骨骨折

図2・上腕骨骨折

  77歳 女性 多発性脳梗塞

腋を持ち上げ介助しての上腕骨骨折

図3・踵骨骨折

74歳 女性 慢性関節リウマチ

持ち上げ後、着地の衝撃による踵骨骨折

・介助者の身体を守る


「介助者の負担を軽減する」ということについては、近年、介護保険の導入もあり、介護への意識は高まっており、検討されることも多いと思います。しかし、実際に介助者にとって負担のない方法で移乗介助を行っている介助者がどれくらいいるのでしょうか。プロと呼ばれる、教育を受けた専門職でさえも日々の業務の中で、力まかせの移乗介助を行い、腰痛を来たしていることが多いのが現状です。高齢社会の中で、老々介護といわれる高齢の介護者が同様の介助を繰り返し、負担が無いはずがありません。力での介助には限界があります。合理的な方法を考え、介助者にとって負担のない方法を広めていく必要があるでしょう。

「介助者の身体を守る」ということは、介護労働者の労働災害をなくすという視点からも大切なことです。また、家族介護を完全にはゼロにできない我が国の現状では、家族介護者が身体を痛めれば、本人の生活の質が低下する傾向は否めず、本人の生活の質を高めるということからも、さらには家族の犠牲の上に成り立つ介護はあってはならないということからも、家族介護者の身体を守るということは必要不可欠な視点です。

・必要に応じ、道具(福祉用具)を利用する

セラピストなどプロの中にはきわめて高度な技術で、自分の身体を痛めず、また本人にとっても安心で安全な方法で移乗介助できる技術を身につけている方々もおられます。しかし、本当の意味でのプロの技術を慣れない介助者が習得することは難しいことですし、プロにとっても技術の習得には時間を要します。また、技術やコツを覚えても、人だけによる現行の移乗介助方法では本人の体重を何らかの形で持ち上げなければなりません。体重自体が減少することはありませんし、介助者に必要となる力を減少させることはできても極端に小さくなるわけではありません。

このようなことを考えると、できなくなってからの福祉用具ではなく、介助を楽にするための生活道具として福祉用具を上手に活用することが必要でしょう。後述しますように、ちょっとした福祉用具を利用すれば、移乗介助はずいぶん楽に、かつ安全になります。事故が起きる前に、介護が破綻する前に、本人・介助者双方に、負担のない移乗方法を選択していくことが大切です。


1.2 [移乗動作の要素]

移乗動作を考えるにあたっては、以下の視点 から考えることが必要です。

・本人の状態および能力

・介助者の能力

・福祉用具類

・環境

・これらを総括して「生活のありよう」を考えます。

・本人の能力

当然のことながら、本人が自分で移乗できることが目標です。ですから、本人の状態を改善し、また、個々の身体特性にあった移乗方法をきちんと伝達することが大切です。その上で、移乗の自立に不安定さや危険が生じそうなときは次の方法を考える必要があるでしょう。また、すべて自分でできなくとも、自分で可能なことは自分で行う、介助者に協力するということができれば介助移乗であっても介助者の負担は軽減します。

本人の能力にあわせた移乗方法を選択することが必要であって、誰でも同じ移乗方法をするということはどこかに無理が生じます。

また、日常生活における移乗動作は訓練ではありません。身体機能を維持することはとても大切なことですが、その意味で訓練要素を移乗動作に含める場合には十分なアセスメントが必要です。ついつい訓練要素を強調して、がんばらせたり、多少無理をしてやらせてみたり、危険な移乗動作になっていないか確認しましょう。

・介助者の能力

家族介助者の場合には、基本的な知識がないという前提の元に考えるべきです。また、ヘルパーなど介護を専門に行っている人であっても、個々人の特性に合わせた移乗介助方法を十分に獲得し得ていない場合が多いことも事実です。このようなことから考えると、比較的容易に獲得できる技術体系が求められているともいえます。

どのような介助者であっても上述したように力まかせで移乗介助するのではなく、合理的で自分の身体を守れる介助方法を採用すべきだといえます。個々の介助者の能力に応じて移乗方法を変更することもよいでしょうが、介助者が変わるたびに移乗方法が変わるということも決してよいことではありません。特に複数のヘルパーなど専門的な介助者が関わるような場合には、すべての介助者が一定して行える方法にしなければなりません。このような意味では移乗介助方法に関する徹底した普及活動が必要をなるでしょう。

・福祉用具類

移乗動作に福祉用具を使用すると、自立して行う場合でも介助で行う場合でもずいぶん容易に、しかも安全に行えるようになります。しかし、福祉用具は目的にあわせて選択し、状況に応じて使い方を変更する必要があります。これらの知識と技術を獲得できれば福祉用具は大きな効果を発揮します。

状況に応じた機器の選択とその使い方を覚えることはさほど困難なことではないでしょう。本書および付属するCD/ROMを参考に、また実際の場面でさらに工夫を加えながら、より快適な移乗方法を見つけていきましょう。

・環境

居住環境を整えれば移乗も楽になるということばかりではなく、本人の能力を最大に利用するためにも、また福祉用具を利用するためにも環境や使用する福祉用具にいろいろな要素が求められてきます。ベッドには昇降機能がある方が移乗しやすい、とか、車いすのアームレストがはずれないとこの移乗用福祉用具は使えない、ということが起きてきます。移乗動作全体の中で、住環境を整備し、使用する福祉用具の仕様を考えるということが必要になります。

・生活のありよう

上述した4っつの要素はそれぞれに関連しあっています。例えば、本人の状態が変化すれば必要となる介助者の能力も変わりますし、使用する福祉用具も変わるでしょう。したがって、移乗方法を考えるにあたってはこれらを総合的にとらえる必要があります。さらに、すべては時間経過とともに変化しますから、絶えず観察し、アセスメントしなければならないということになります。

また、移乗動作は生活のありように関わってくることは当然です。どのような生活をしているのか、目指しているのかを考えながら、最適な移乗方法を考える必要があります。

1.3 [移乗動作の分類]

移乗は以下のように分類されます。

・形態からは;

・立位移乗:立ち上がって移乗する方法

・座位移乗:座ったままの姿勢で移乗する方法(横方向、前後方向)

・持ち上げ移乗:人力やホイストなどによって、持ち上げて移乗をおこなう方法

本報告書では座位移乗と持ち上げ移乗を中心に記述します。

部分介助にはいろいろな段階があります。見守りだけでよい場合から、ほとんど介助者に依存する場合まで含まれます。一人一人の状況に応じた臨機応変の対応が要求されます。

1.4 [移乗介助を行うにあたって]

これまで述べてきたことも含めて、実際に移乗を行うにあたって大切なポイントは;

・本人にとって

・身体の状態にあった方法であること

・能力を活かすことができること

・適切な着座姿勢がとれること

・介助者にとって

・技術や経験、能力に応じた方法であること

などであり、このような条件が整えば、本人・介助者双方にとって安全・快適で無理なく容易な移乗動作が行えます。そのことによって本人だけでなく、介助者も含めて生活の広がりが期待できるでしょう。

毎日の生活の中では、本人または介助者のコンデイションが変化することがあります。朝はできても夕方にはできなくなることもあります。また、環境が変わることによってできなくなることもあります。したがって、いくつかの移乗方法を確保しておくことは生活を安定したものにするためにも大切です。

移乗を実際におこなう場合にはまずは計画をたてることが大切です。途中で慌てることがないように、手順をひとつひとつ追っていき、すべてが整っているか確認します。安全で効率的な移乗のためには不可欠です。また、移乗後の行動も考え、無駄のないようにします。

・本人・介助者全体の動作を事前に確認します。

・使用する用具類の配置を確認しておきます。

また、介助が必要な移乗動作は本人と介助者が一緒になって行うものです。まずは相互に声を掛け合って、心の準備も含めて用意が整ってから同時に開始すべきものです。移乗の際には、絶えずコミュニケーションをとっておこないましょう。介助の場合には、これからおこなうことをひとつひとつ伝えて安心させます。そのことによって、本人からの協力も得られ介助が容易になります。